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東京地方裁判所 昭和52年(刑わ)1655号 判決 1978年10月27日

主文

被告人を懲役六月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五二年四月一七日午後五時五分ころ、東京都港区麻布十番三丁目一〇番一〇号先路上において、韓国青年らによる在日韓国大使館に対する抗議行動に伴う違法行為の制止・検挙などの任務に従事中の警視庁第八機動隊勤務警視庁巡査部長岡安英男(当時三三歳)に対し、その顔面及び下顎部を手挙で殴打する暴行を加え、もつて同警察官の右職務の執行を妨害し、その際右暴行により、同人に対し、安静加療約五週間を要する頸椎捻挫・口唇部挫創の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件の公務は違法であり、又、被告人の行為は、乱暴な規制を受けている女性二人を救うために機動隊員と女性らの間に割つて入つただけの社会的に容認される有形力の行使であつて、公務執行妨害の暴行に該当しないし、右の急迫不正の侵害に対し女性二人の権利を防衛し、あるいは危難を避けるためやむをえずなした正当防衛ないしは緊急避難行為であるから無罪であると主張する。

しかしながら、前掲各証拠によれば、後藤巡査に対する暴行があつたことを疑うに足りる相当な理由があつたと認められるし、その犯人や暴行の犯行状況を知つていると思われるものが含まれていることの蓋然性の高い集団である百数拾名の者が、右暴行の現場から立ち去ろうとしたのに対し、その停止を求め、その暴行の被害者後藤巡査らにおいて、その集団中の者につき犯人でないと判明した者は順次その停止を解いて立ち去つてもらい、その停止から全員が立ち去るまでにせいぜい一〇分内外であつたこと、停止を求めるにあたつては機動隊員らは待つてくれ等と言いつつその集団の端の部分を構成するものに対しては身体に接触することはあつても痛みを感じさせるような有形力の行使はせず、停止の要請に応じないものに対しては強制的に立ちどまらせるような手段に出ていなかつたことが認められるので、警察官職務執行法二条一項の適用の場合として相当であると認められ、まして、被告人に対する岡安巡査部長の行為は、停止を求める最初の段階のものとして、立ち去ろうとする被告人に対し待つてくれとの趣旨の声をかけ肩に手を触れる程度のものであると認められるので、これが適法な職務行為であることは言うまでもないし、被告人の行為は右手で岡安巡査部長の顔面を殴打するなどしたものであると認められるので、これが社会的に容認される行為でないことは明らかであり、従つて、緊急避難、正当防衛に関する弁護人の主張も理由がなく、結局、弁護人の主張はいずれも採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、岡安英男の職務の執行を妨害した点は刑法九五条一項に、同人に傷害を負わせた点は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることととする。

(量刑事情)

本件犯行は、被告人において、その仲間らとともに在日韓国大使館に抗議の意思を表明する意図で赴き、その帰途に機動隊員に停止を求められた状況の下に気持が昂揚した状態で何らの計画性なくして行われたものと認められるし、被告人自身は当時大学生であり、その後の生活歴は詳らかではないが会社員として稼働しているもののようでもあり、前科前歴がないことを考え併せると犯罪傾向をおびている者とは到底言い難いので、被告人に対しては、その行為が犯罪行為であつたことを認識せしめ、今後再び犯罪に陥らないよう自覚せしめて更生をはからせるためには、直ちに実刑に服せしめることは必要ではなく、刑の執行を猶予するのが相当である。

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